名護屋城大茶会

2022.3.11

第二回 「名護屋城で花開いた桃山文化」

能や茶の湯が大流行文化都市でもあった名護屋

 名護屋城は朝鮮出兵の前線基地。海の向こうでは一進一退の攻防戦が続きました。かたや秀吉は将兵たちの苦労をよそに、名護屋で暇をもて余し、芸事に明け暮れる日々。能にもかなり心酔し、能役者を呼び寄せ、自らも能を舞い、大坂城にいる妻ねね(北政所)に「能の演目を十番覚えたよ」と手紙を書き送ったほど。
 能が武家の式楽(公式の場の音楽)に位置づけられたのも、この頃です。名護屋の有力大名の陣屋には必ず能舞台と茶室があり、当時の流行ぶりがわかりますよね。

今日まで続く日本文化の出発点

 茶の湯で言うと、素朴な高麗茶碗が当時の流行でした。朝鮮に出兵した西国大名たちは多くの陶工を連れ帰り、自分の領地で窯をもたせました。唐津焼も朝鮮人陶工の手によって発展し、茶人たちに「一楽、二萩、三唐津」と称されたほど。同じように有田焼や薩摩焼、萩焼も朝鮮出兵をきっかけに生まれました。安土桃山時代の日本社会は、一旗揚げてやろうという野心家がたくさんいて、派手好きで新しもの好き。外国の文化にも興味津々でした。そんな世風のなかで誕生したのが豪壮華麗な桃山文化であり、名護屋の地で大きく花開いたのです。今日まで続く日本文化もまた、はじまりの名護屋城。

佐賀新聞社社長
中尾清一郎

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