佐賀県は、国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」(唐津市、玄海町)と歴史シミュレーションゲームの人気シリーズ「信長の野望」とのコラボレーション企画をスタートさせた。ゲームに登場する戦国武将たちが描かれた周遊サインを史跡周辺に配置。城跡周辺の交差点も、武将名が入った名称に変更。コラボの狙いや名護屋城の歴史的意義、「信長の野望」の魅力とは-。山口祥義知事とゲームの生みの親であるコーエーテクモゲームス(横浜市)のゼネラルプロデューサー シブサワ・コウ氏が語り合った。(文中は敬称略)
山口 佐賀県では、2020年から「はじまりの名護屋城。」プロジェクトに取り組んでいます。名護屋城跡と23カ所の陣跡は国特別史跡に指定されていて、歴史ロマンを感じさせる場所なのに、その深い価値が十分に世間に伝わっていないのではないか。そんな思いが知事になって以降ずっとありました。プロジェクトは、この貴重な史跡の認知度を高め、文化・観光資源として磨き上げ、文化ツーリズムを加速させるためのものです。
名護屋城は、16世紀末に豊臣秀吉によって築かれました。朝鮮出兵の拠点という位置づけで、徳川家康や伊達政宗ら多くの大名が城の周辺に陣を置きましたが、彼らの多くは戦地に赴いておらず実は相当な時間を持て余していたと思われます。では、その間に何が行われていたかというと、大名らによる活発な文化交流です。茶の湯や能といった伝統芸能、あるいは各地の自慢の食べ物や器、衣装といったものの見本市のようなことが連日開かれていたのではないでしょうか。
シブサワ 名護屋城は「信長の野望」シリーズ初の位置情報ゲーム『出陣』にも登場します。面積は約17㌶と大坂城に次ぐ広大さでしたから、現在も残っていれば一大文化財として世に認識されていた可能性が高いでしょうね。
当時はそこに秀吉の号令の下、150を超す大名・武将が全国から集まり、文禄・慶長の役が終わるまでの約7年間だけでしたが城下では最大で20万人が暮らしたわけです。特殊な状況ではありましたが、いっとき日本の中心だったとも言える。私も、この時期は名だたる武将たちがぜいを尽くし趣向を凝らして、自分の領地がいかに素晴らしいかのPR合戦をしていたと想像します。いわば「国内版の万国博覧会」ですね。私がもし大名としてあの時代にいたなら、やはり自分が暮らす建物を豪華にして、いい格好をして目立ちたいと思うでしょうね。
山口 あれだけの数の大名が何年間も1カ所に集まる機会なんてそうないですし、ましてや当時はSNSみたいな発信手段もありませんからね。秀吉は名護屋城滞在中、能の稽古ばかりしていたと聞きます。それを知った大名たちにまねをする者が出始め、急速に能の文化が広まっていったそうです。関ヶ原の戦いを経て徳川政権になり、名護屋城は取り壊されてしまいましたが、能や茶道、書道など今に連なる日本の伝統文化が花開く「起点」となったのは間違いありません。
シブサワ 名護屋城には文化の発信地としての魅力が詰まっていて、まさに「はじまり」の地と呼ぶにふさわしいと思います。コラボでは「信長の野望」に登場する武将を多く活用してくださっていますね。
山口 ゲームに登場する有名武将をあしらった周遊サインを制作しました。例えば、徳川家康や前田利家などの陣跡に設置したサインには、彼らのグラフィックとともにどんな武将だったかのプロフィールや名護屋滞在時のエピソードも盛り込んでおり、戦国時代や「信長の野望」のファンが「聖地巡礼」に来たときに当時の状況に思いをはせながら回っていただけるようになっています。家康、利家以外でサインに登場するのは石田三成、島津義弘、黒田長政、鍋島直茂などで、計13カ所に設置予定です。また、高さ約7㍍の大型歓迎塔には、秀吉のほかに人気の高い伊達政宗と真田幸村を使わせていただきました。
シブサワ ありがとうございます。今回使っていただいた利家はかなりの美男子、今で言う「イケメン」。キャラクターのビジュアルは、ユーザーに感情移入してもらいファンになってもらう上でとても重要です。「信長の野望」では、シリーズを追うごとに武将のビジュアルをブラッシュアップしています。
今回のコラボに合わせ、城跡・陣跡周辺の交差点名も武将名を入れた名称に変更しているそうですね。自分の好きな武将の名前が交差点に出てきたら、訪れたファンなら胸が躍りますよね。「おお、ここが『伊達政宗』か」って。きっと『出陣』ユーザーも喜ぶと思います。
山口 名称変更の一例を申しますと、「ひばりヶ丘」という交差点は「徳川家康別陣跡入口」、「波戸岬少年自然の家入口」は「真田昌幸陣跡」という具合です。
「はじまりの名護屋城。」プロジェクトの一環で、秀吉が大坂城などで茶会を行うために造らせ名護屋城にも持って来させたとされる「黄金の茶室」も、県立名護屋城博物館に復元しました。金箔をふんだんに使い、半年をかけて22年に完成。史料に基づく「黄金の茶室」は全国に三つありますが、中に入れるのはここだけとあって、多くの方に観光に来ていただいています。毎年3月には大茶会も開催しているので、今年は「信長の野望」ファンにもたくさん来ていただきたいですね。
シブサワ 「信長の野望」は昨年、誕生から40周年を迎えました。この節目に名護屋城跡とのコラボが実現したことは本当にうれしいですし、城跡の重要性と魅力を広く周知して新しい歴史ファン掘り起こしのお役に立てるなら幸いです。
山口 私自身、「信長の野望」の大ファンで、徹夜でやり込んだこともあります。第1作が世に出た1983年ごろはまだ歴史シミュレーションゲームというジャンルは確立されていなかったと思いますが、成功する自信はあったんですか。
シブサワ 自信というわけではありませんが、織田信長が果たせなかった天下統一という夢をプレーヤーが代わりに実現するという「歴史のif(イフ)」をゲームで表現できれば、「信長の野望」ファンだけでなく歴史にロマンを追い求める人たちにも支持されるのではと思いました。
私が最初に作ったゲームは武田信玄と上杉謙信の「川中島の戦い」を題材にした作品で、合戦をするだけの内容でした。でも、実際の戦国大名は治水工事や米の売買、兵の訓練や他の大名との同盟など領国発展にかかわるあらゆることに気を配らないといけない。そこで、「信長の野望」では経営者としての要素も取り入れることにしたのです。
山口 なるほど、「信長の野望」は「シブサワの野望」だったんですね。確かに、「信長の野望」は戦い以外にも経済や外交の要素が入っていますし、民の忠誠度を上げる方法や文化への理解度なども含めて人間の総合力が問われる奥が深いゲームです。「どれだけマルチな才能を持った人が「信長の野望」を作っているんだろう」と前から思っていて、いつかそんな人が作ったゲームとのコラボが実現したら、わくわくする企画をいろいろと打ち出してみたいという〝野望〟を私も抱いていたんです。
シブサワ 「信長の野望」シリーズはありがたいことに16作を数え、世界累計出荷本数は1000万本を突破しました。登場人物は第1作では大名17人でしたが、最新作の『新生』では武将を含めて2200人を超えました。シリーズを重ねるごとに各地から「地元で活躍した武将や家臣をもっと登場させてほしい」との要望をいただき、どんどん増えていったんです。
山口 その2200人の中には、全国的にはあまり知られていないけれど名護屋に来た武将もいるかもしれません。そうした武将の出身地と連携するのもおもしろそうです。
シブサワ それはいいアイデアですね。横浜市では毎年、城郭文化の振興と城愛好家の交流を目的とした「お城EXPO(エキスポ)」が開催されていて、年々来場者が増えています。名護屋城跡でもゆかりの武将の出身地による出展企画などを行えば、それこそ名護屋城で開かれていたであろうPR合戦の再現となるかもしれませんね。
山口 最後に、名護屋城跡があるエリアは、レジャースポットとしても「イケてる」ということを強調したいです。島津義弘が築いた石垣が残る波戸岬エリアには、絶景の夕陽が見られる波戸岬キャンプ場があり、若者たちでにぎわっています。景勝地となっている七ツ釜は、世界的に有名な伝説のダイバー、ジャック・マイヨールさん(故人)が毎年夏のバカンスで訪れるほどほれ込んだ場所です。
今回のコラボをきっかけにエリアを訪れた歴史ファン、「信長の野望」ファンが「こんなすてきなところもあるのか」と別な驚きを感じ、伝統文化と現代の遊びを両方体験してくれることを願っています。
企画・制作/西日本新聞社メディアビジネス局
協力/コーエーテクモゲームス